お知らせ
鶏になった我が身
今日からクリスマスオードを初めとする煮豚、
ローストチキン等々
クリスマス期間中料理の仕込がスタートした
各材料を数だけ仕込めば良いだけの事で
煮たり、焼いたり、煮込んだりは目を瞑っても出来る
作業
問題は、例えば100個作る場合、途中で数を忘れてしまう
歳を重ねる事は難儀なことである
手足と舌と特に材料の目方は計りが要らない感覚であるが
正に鶏になった我が身である。
「鶏」は三歩歩けば忘れるという
余計な事だが
「蛸か」と言う「タコ」は耳がないから
言われても直ぐ出来ない事の意味
見習いの時代に良く言われた
「お前は鶏か」「お前は蛸か」
いやいや、高齢になると子供に帰ると言うが
高齢職人は技量は人一倍あっても
所詮、脳みそは見習い時代に戻るのか・・・
いつまでも若い気で居ると「火傷」する基であるが
歳を重ね、幾つに成っても
生涯、「見て習う」と言う「見習い」が続くのが職人と言う
教えなのか・・・